「インドレスト ランマンダラ」から「和布 インテリア」へ

 1987年(昭和62年)5月15日、神田神保町「インドレストンマンダラ」のオープニングパーティーが開催されました。調査に携わってから建工事中の(竹中工務店施工)ビルの完成をみて、オープまで1年強でした。

 レストランに携わったのは、丁度長年勤務していた会社を辞め、後輩と一緒に事務所を開設したばかりの時です。インドやブータンなど特徴的な旅行を扱っていた、知り合いの旅行会社の方から、会社がお客さんたちの写真交換会を開く場所にもしたいと、神保町にインドレストランを開く予定なので、都内のインドレストランを調査して欲しいと頼まれたのがきっかけでした。食べ歩きなど調査のまとめから、その後企画、設計、器などの発注、メニューづくり、パフレットの作成などオープンまで、一貫して作業しました。

 レストランの場所は、当時人通りも少ない寂しい、岩波ホールの裏通りに面したところでしたが、神保町は、出版社も多く、そこで働く人達などが行きそうなお店はありませんでした。そうした人たちが行きたくなるお店にしようと、直ぐに工事が間に合うのを見極め、壁はコンクリート打ち放し仕上げで「ギャラリー」にしようと考えました。

 知り合いは世界中の珍しい布をコレクションしていましたから、飾るものの入手は容易でした。当時はまだまだ、そうした品々を入手することは難しい時代ですが、旅行会社ですから、展示品を頻繁に交換することもできます。オープン前にターリーセットをインドに特注し、マンダラ図はブータンで描いてもらえました。どこにも出来ない、この旅行会社ならではのことです。

 私は会社勤めの頃、毎週のように土曜日の午後(当時勤務はどこも土曜は半ドン)都内の美術館巡り(主に美術工芸品)をしていましたので、インドには素晴らしい布や日用品などがあることを知っていましたので、そうしたものを展示すれば、旅行会社の役にもたつと考えました。そして展示品の調達、本場のインドカレーを食べることなどを目的に、1週間程度でしたが、インドに行き、展示となる布などを買い付けました。

 当時、レストランに布をディスプレーしたところはなく、業界の方でしょうか、大勢の方がいらして下さいました。美味しいカレーとインテリアが好評で、雑誌などにも何度も掲載され、1990年には漫画「美味しんぼ」の表紙も 飾り、多くの方の知るお店になりました。今でも、内装はそのまま、器なども当時と同じものを利用されているようです。

 その後、事務所は大手シンクタンクの大規模調査などから、会社を辞めた目的でもあった、街づくりのための調査を行うなど、いろいろな業務に携わり、今に繋がる「住宅白書」「人口問題に関する報告書」をとりまとめてから、「高齢期の住まい」に関する業務に本格に取り組むことになりました。そして、布好きな私は娘が和布(着物や帯)で服をつくるようになると、一緒に京都などに買い付けに行くようになります。

 ある時、何気なく、布の一部を額に入れて事務所に飾っていたところ、知り合いから、どうしても欲しいと言われ、お譲りしました。その後時々は、額装をしていたのですが、西新宿の事務所を原宿に移し、アトリエとしてもオープンすることになり、和布の「額装」がより多くの方の目にとまるようになり、その素晴らしさに、驚かれ、後押しされるように、小さな個展を開きました。その後「和布にみる日本の美」との演題で講座を開くなか、大きな反響を頂き、海外での和布(着物・帯)の素晴らしさを広めたいと思い、数年前からこの時期の着物や帯の有数のコレクションを持つ方ともご一緒に、様々に検討を重ねてきました。

 これから「高齢期の住まい」に関する業務を中心に、近代史の研究とともに、改めて和布・インテリアにも取り組んでいこうと考えています。新型コロナウイルスが落ち着きましたら「もうひとつの着物展」も開きたいと思います。

 今は、もうつくる事の出来ない和布(着物・帯)を日本文化のひとつとして、より多くの方が、その価値に気づき、大切にしてくださる日がくる事を願っています。

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